7冊同時進行読書

~急がない読書 作品世界を開く~

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物語世界に触れる (急がない読書 作品世界を逍遥する)

投稿日:2019年10月20日 更新日:

物語世界

物語を読む理由

このブログ【7冊同時進行読書】で扱う本は物語です。

読書を通じてその物語世界に触れることを目的にしています。

「小説すなわち物語である」といっていいものかどうか、その辺りの定義は分かりませんが、要は学術書やハウツー本ではなく、ある世界を描いた作品を読んでいくということです。

心の窓

例えば、学校や職場で嫌なことがあった場合、心は外部に対して閉じ気味になってしまい、その嫌なことを頭の中で延々と繰り返してしまうということが時折あると思います。

その時、自分に対して好意をもってくれている人がいたとしても、閉じている心は外には向かっていないので、その好意からくる微笑みに気付かなかったりします。

その微笑みが自分に対する優しい風だとするなら、そういった風は人からとは限らず、自然であったり、一緒に暮らしている猫や犬であったり、あるいは日々の食事であったり、あらゆるものから吹いて来ます。

心の窓が開いていれば、風は常に吹いているので、私たちの身体が常に呼吸をして命を保っているように、心への糧の供給が途絶える事はありません。

しかし、あらゆる対象から来るその風を受けいれるべきその窓には、常に閉じよう閉じようとする力が働いています。

そして、それが完全に閉じてしまうと、再びその窓を開く力は、本人にも他の人にも猫や犬にも自分を取り囲むあらゆるものにもありません。

しかし、それが完全に閉じてしまうのを防ぐ力、その窓が開放されている状態を保つ力が芸術作品にはあります。それが文学や音楽や美術などの作品が大切にされる理由であり、また世界的にあるいは歴史的にそういった作品を生み出す人々が尊ばれる理由です。

ここではその文学作品の中の物語を読んでいきます。

僕は物語を描いた作品には二種類あると思います。 

1).世界があり、その世界を言葉で表している作品。

2).言葉を組み合わせることによって世界を構築しようとしている作品。

音楽に例えるなら、1)はメロディーが浮かびそのメロディーをもとに作られた作品。2)は音を並べることにより作られた作品です。いうなら、生花と造花のようなものです。ただ造花を否定しているわけではなく、造花には造花のニーズがあると思います。

ただ、ここではっきりさせておきたいことは、2)の言葉で構築された世界には生命を感じることができず、その点において、そういった作品の中に世界はない、すなわち世界を持たない作品であるということです。

2)の言葉で作り出された世界、それを世界ではないと否定はできないのかもしれません。しかしここでは混乱を避けるというか言葉の定義に度々舞い戻るのも面倒なので、1).世界をもつ作品。2).世界をもたない作品。とします。

 

そもそも物語を描いた全ての作品には、世界すなわち命があるのではないかという気もします。では具体的にどういった作品には世界が無いと思うのか、世界を感じることのできない作品とはどういう作品なのか、その一例として作者が見える場合があります。

例えば以前ある作品を読んでいると、その主人公の親族、確か祖父だったと思いますが、彼は実に偉大な人物だったという話題になりました。その偉大さを主人公に他の人が話して聞かせます。その時、彼の偉大な功績を並べていくのですが、その箇所で作者が「これぐらいの功績をこれぐらい挙げておけばいいだろう。」と判断したことが読み取れました。そういった作者の思惑が見えてしまうとそれ以降その作品を読み続けていく気にならず、途中で読むのを止めてしまいました。

上記のような場合、僕はこの作品には世界が無いと結論するのですが、もちろんこれは独断であります。ただ僕が、そこに在る世界を感じることができないだけ、その世界を受け入れることができないだけかもしれません。

世界を感じることのできた作品について。

宮沢賢治

まず、宮沢賢治の童話を挙げます。【注文の多い料理店】は九編から成る童話集です。彼が生前に刊行された書籍のうちの一冊です。青空文庫で無料で読めます。もちろん他の童話等も無料で読めます。その序に、自身のこの注文の多い料理店のなかの童話について、「どうしてもこんなことがあるようでしかたがないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。」とあります。また「あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」とあります。

これこそが、彼の童話が命をもっていることを示しています。その命は心の窓が閉じてしまうのを防ぐ力であり、またその心の窓に吹いてくる風そのものでもあります。

宮沢賢治を引き合いに出せば分かり易いというより、僕自身が宮沢賢治に影響を受けていると言うべきでしょう。宮沢賢治の考えていることは僕の考えていることにかなり近いというより、僕自身が宮沢賢治に感化されているのです。

平家物語

次に【平家物語】を挙げます。

評論家小林秀雄が、その著作平家物語(新潮文庫、「モオツァルト・無常という事」に収録)の中で、平家物語のある場面を挙げた後、その場面を描写した文章について、「太陽の光と人間と馬の汗とが感じられる。そんなものは少しも書いてないが。」と記しています。

これが読者が世界に入っている状態であり、その世界に遊ぶ、その世界を逍遥するということです。

書かれている以上のことが見えたり、記されている以外のことが感じられたりします。だから、それを読者自身の空想や妄想だと言われるなら否定はできません。

ここで空想・妄想という言葉が出てきましたが、奇異に聞こえるかもしれませんが、ある作者が世界をもつ作品を書いている時、その作者ほ空想も妄想もしていないと僕は思っています。

7冊同時進行読書の目的

世界をもった作品、言い換えるなら命をもった作品に触れることにより、そこにある世界を感じその世界に遊び、そこから吹いてくる風を受けることにより、心の窓が閉じてしまうのを防ぐこと、心の窓が開放されている状態を保つことが、この7冊同時進行読書の目的です。

 

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