小野不由美の十二国記の新作が18年ぶりに出ました。【白銀の墟 玄の月】です。ここでは十二国記の魅力、特に妖獣・妖魔について記しています。
十二国記に魅かれる理由。その2。妖獣と妖魔。
現実世界と共にある異世界。
十二国は虚海と呼ばれる大いなる海の中にある国々です。
その十二国をもつ世界は、この現実世界と共にあります。
例えば、映画化もされた、J・R・Rトールキンの指輪物語(ロードオブザリング)は完全なる別世界の話であり、そこに現実世界は出てきません。
しかし、十二国の世界は現実世界と共にあり接点を持っています。
蝕という一種の天変地異により、十二国の人が日本や中国に行ったり、あるいはその逆の現象が起きたりします。
また、登場人物のひとりである、漣の麒麟の廉麟の持つ呉剛環蛇というアイテムによっても両世界の往復が条件付きですが可能です。
十二国では日本は「蓬莱」。中国は「崑崙」とそれぞれ呼ばれています。そして、十二国からの移動は、この両国に限られているようです。作品中に欧米の国や人は出てきません。だからといって、日本と中国しか存在しない限定された現実世界という事ではなく、移動の拠点がそれらに限られているということみたいです。
十二国の形。虚海。
虚海の中に幾何学的な紋様のように十二国は存在しています。
平らな世界という印象を受けます。
実際の大陸のように、地球のような球体に貼りついているというよりも、只々広い虚海という海の真ん中に十二の国々(一つの大陸と四つの島々)が浮かんでいるという印象なのです。
だから、端と端の国同士、例えば北東の国”戴”と南西の国”漣”が海を隔てて実は隣同士だったということは無いと思います。
人外の存在。仙人、神、半獣。
人以上の存在がいます。
不老不死の仙人や神がいます。人よりもすぐれた力を持っています。
最高位の霊獣である麒麟は、人の姿をとったり獣の姿であったり転化します。国の根幹であり、王を選出します。飛行速度は最速です。
半獣は人でもあり、獣でもあります。自在に変化します。
このように、人知を超えた存在があるのにも関わらず、虐げられた人々の苦痛からの解放には結びついていません。
奏とか雁とか国によっては比較的国民の生活が安定しているところもありますが、その他の多くの国々の大半の国民達は辛酸を嘗めています。
妖獣と妖魔
実在しない生き物、あるいはそれ以外の存在が自分の仲間というか味方になってくれる、という要素をもつ小説や漫画は、枚挙にいとまがありません。
いまなら、ポケモンがそうですし、長い人気を誇っているドラえもんもそうです。
十二国記においては、妖獣という動物に近い生き物が登場します。といっても空を飛んだりします。思考能力は犬とかの哺乳類に近く、当然喋ったりはしません。妖魔の方は思考能力があり人語を介します。動物というより妖怪に近い感じです。
妖獣は捕獲され調教されて、騎獣として利用されることもあります。妖魔は最高位の霊獣である麒麟に調伏されて使令となり、麒麟を守るとういう契約を結ぶこともあります。
僕はこの特に妖獣に魅力を感じ、ついつい妄想に走ってしまいます。その妄想というのは、実際にそういった妖獣のようなものが現れて、一生の間、自分とともにいてくれて、力になってくれるというものです。中二病としても、かなり重症ですね。
簡単に言ってしまえば、この妖獣、あるいは妖魔が自分とともにあれば、侮られたり、ないがしろにされることもなくなるという妄想です。それ以外に、実際に妖獣がいたとするなら当然派生するであろう様々な問題は、ずさんというか、妄想特有のご都合主義により無視されています。
例えば、ドラえもんの世界では、ドラえもんという猫型ロボットの存在に対して、その存在そのものを近所の人々、あるいはマスコミ等が取り沙汰することはありません。それと同様に、僕自身注目されることは特に求めてはいないという理由から、妄想世界ではそういった、当然起こるべき周りの反応は除外されています。
圧倒的な力をもつ存在。
自分が圧倒的な力をもつ存在になるという妄想には、2つのパターンがあります。
- 自分自身がその大きな力を持つ。
- 強大で有能な力を持った存在が自分の味方に成ってくれる。
1.自分自身がその大きな力を持つ。
これは幼少期に誰もが抱く妄想だと思います。男の子なら自分が仮面ライダー、戦隊ヒーロー(2019年現在、騎士竜戦隊リュウソウジャー)になり悪の組織から繰り出されてくる怪人どもをやっつける。女の子なら魔法使い(魔法少女はダメみたいです……)になったり、いまならプリキュアの一員としてやはり悪と戦うといったところです。
しかし、これは年齢のかなり早い段階で失われていく妄想だと思います。まあ、個人差は大いにあるでしょうが。そもそも戦いの対象である悪の組織って何なんだという疑問等が兆してくるでしょうし、イケメンヒーロー目当ての熱烈な主婦層のファンは度外視するとして、ヒーローものの対象年齢は、小学校に上がるか上がらないかぐらいの年齢の子だと思われます。
その後、成長するにつれ、力を求めるにしても、それは現実的な力を手に入れる方向に舵を切っていくことになります。
例えば、悪と戦うとしても、警官になって社会悪と戦うとか、ヒーローになりたいとしても、スポーツ選手を目指すとかです。また、力と言ってもいろいろな力があるので、経済力を手に入れるために、その準備として一流大学を目指すとかです。
要は、妄想ではなく、それらを目標として想定するという事です。
2.強大で有能な力を持った存在が自分の味方になってくれる。
見た目は愛くるしいマスコットのようでも、いざという時には自分に害をなす相手を攻撃してでも自分を必ず守ってくれる存在、そういった存在が現れてくれないかなという妄想、僕個人を振り返ってみても、このての妄想には根深い何かがあります。というのも、年齢に関わらず、ふとそういう妄想をしている自分がいるからです。
さすがにテレビアニメのポケモンやドラえもんを見る事はないのですが、これらの作品が強い人気を誇っていることに関しては、疑問はなく、むしろ得心のいくところであります。
なぜ、圧倒的な力を得たいと思うのか?
その圧倒的な力で、世界征服を目論むとか、多くの衆人どもの上に君臨したいとか、そういうことではないのです。
圧倒的な力などと言っている割には、望みが小さいと思われるかもしれませんが、不本意なこと、理不尽なことから逃れたい、早い話が嫌なことに関わりたくないというのが、その圧倒的な力を欲する理由だったりします。
その関わりたくないというのは、自分が巻き込まれるのもそうですし、自らが元凶になって他の人を巻き込むのも嫌ですし、そもそも、出来れば、そういう話も聞きたくないのです。
だからといって、目をつむり、耳をふさいで閉じ籠っているのも不本意なわけです。
只々自分の思うように生きたい、そのためには圧倒的な力が必要なのです。
それは自分を守りたいという事でもあるのですが、自分の一体何が守りたいのでしょうか。
逆に言えば、それを守る事ができず、それが損なわれた時、腹を立てたり、イライラしたり、落ち込んだりするのです。
だから、腹が立ちイライラし落ち込んだ時、自分が守りたかったものが何か、それが解るのです。
例としては、自分がないがしろにされたと感じる時、場合によっては苛立ち、怒り、悲しみが生じることがあります。
それは名誉・尊厳が損なわれた時、と言い換えることもできそうで、ニュアンス的には近いのですが、正確には名誉・尊厳というのは少し違う感じです。
私のことを重視しろとは言わないが、多少は気を使えというところでしょうか。その時、こっちは相手や周りにそれなりに気を使っているのに、という考えがあります。ただ、実際のところどうなのでしょうか、その気配りが的を得ていなければ何の効果もなく、やはり自分もその人にとっては、無礼な者、私をないがしろにする者、という事になっていないとも限りません。
気配りができると自負している場合、その気配りは自分の基準、自分がどうして欲しいかが基準であって、相手のことはさほど考えていないことが多いのではないでしょうか。というのも、多くの人達と付き合っていくなかで、自分が興味をもてる相手は、やはり限られてくるからです。
興味をもてない相手のことを、当然深く考えることもない、というよりも、深く考えることはできないわけで、そうなるといきおい、そういった人達に気を遣うとしても、一般的・標準的な判断によることになり、結果、相手からは自分はないがしろにされていると思われることになります。
自分で自分を侮り軽んじるという問題。
自分にとって大切な人、好意を抱ける人は何人かいます。それ以外のほとんどの他人を重視していないのと同じく、自分自身が自分のことを常に大事にできてはいないという現実があります。自らを敢えて損なう選択をする場合がときとしてあるのです。
自分自身が圧倒的な力を得たとしても、そのような自虐的傾向がある以上、望むような状態に行き着くとは思えません。にも拘わらずそういった妄想に走るというところに、妄想が悪しきものである片鱗が垣間見える気がします。とはいえ、自分で自分を損なう選択を敢えてしてしまう問題とともに、この妄想・空想問題は根が深いと思われるので、いい加減この記事も長くなりましたので、また日とページを改めたいと思います。
- 自分を損なう選択を敢えてしてしまう問題。
- 妄想・空想問題。