世界的名作 モンゴメリ作【赤毛のアン】を読みます。
【赤毛のアン】とは。
〔Anne of Green Gables〕
カナダの小説家L.M.モンゴメリーが1908年に出版した小説。赤毛の孤児アンがプリンスエドワード島のエボンリーという片田舎の老兄妹に引き取られてきて、その言動で村人たちの穏やかな生活に次々と「事件」を巻き起こす。古い因習にとらわれないアンのふるまいに、人々は驚かされたり、あきれたりしながらも、アンにひきつけられ、いつしか愛情をいだくようになる。著者はアンにみずからの少女時代を重ね合わせ、愛する故郷でアンに思う存分活躍させている。カナダの片田舎の美しい自然やつつましい風土を背景とした、痛快かつロマンティックな物語は、出版されるや大反響を呼びいまなお根強い人気を保っている。
ブリタニカ国際大百科事典
最高傑作
僕が今まで読んできた全ての文学作品の中から一つ選ぶとするなら、この【赤毛のアン】を選びます。
自然と愛情に溢れた最高傑作です。
ただ、邦題の「赤毛のアン」はどうなのかな、という若干の引っ掛かりはあります。アン自身が赤毛を気にして嫌っていたからです。もっとも日本人には、この赤毛に対するコンプレックスはよくわからない感覚ではありますが。直訳の「グリーンゲイブルズのアン」でいいと思います。
しかし、アンも成長するにつれ赤毛であることをあまり気にしなくなりました。そして、ほぼ全員が黒髪、一部白髪、あるいは不明な日本人には、初出版された当時「赤毛」というフレーズはキャッチーでインパクトがあったのかもしれません。それがこの作品のヒットに繋がったのならこの邦題にした効用はあったのでしょう。
ちなみに、僕が【赤毛のアン】を読むのは今回で4回目です。
自然
カナダ=大自然というイメージが日本人には強くあると思います。
残雪を抱いた青空に映える大山脈、
大河に寄り添った針葉樹の森。
とはいえ、僕自身のイメージかもしれないので一応ググってみました。
- 広大な国土の割に人口が少ない。
- 治安がいい。(よさそう。)
- 赤毛のアン
- 天然資源が豊か
- メープルシロップ(笑、なんか微笑ましいですね。まあ、国旗がそうですし。)
- ジャスティン・ビーバー(ピコ太郎をはじけさせた人)
- アヴリル・ラヴィーン(かわいい女の子)
と、とにかく薄くはありますがいいイメージです。(カッコ内は私見です。)
ただ、【赤毛のアン】の自然の風景は、広大というよりものびやかで、峩々たる山脈の峻烈さに通ずる冬の厳しさもありますが、親しみやすい身近で穏やかな感じです。
夏になると川で飲み物や果物を冷やし湖で遊び、草原をのぞみながら親友であるダイアナと語らい、森を通って通学するという、そんな日常生活でした。
愛情
家の手伝いをする男の子を欲していたのにも関わらず、女の子であるアンがやってきます。当然マニラは帰らせようとしたのですが、おしゃべりなこの子に惹かれ、およそ自己主張をすることのない兄のマシューが反対をします。そして、そのままアンとこの初老の兄妹は共に暮らすことになります。
アンにとっても選択の余地のない運命の出会いなわけです。まず、このマニラとマシューは兄と妹であり夫婦ではありません。そして若くもなく、裕福でもありません。アンは孤児院から引き取られてきたのです。当時のカナダでのそういった場合の事情はわかりません。ただ、裕福なある程度若い夫婦がそういう行為を行う、というのが僕のイメージではあります。
そもそも老齢にもかかわらず子供を引き取ろうとするのが、不思議というかちょっと解らない感覚です。成人して自立するまでの面倒はみる、という事なのでしょうか。
今の日本でよくあるように、家に引きこもったらどうするんだ、などとつい考えてしまうほうがおかしいのでしょう。
また、アンの口ぶりからすると、孤児院にはいつまでもいられないと言うかいたくないという感じではありました。
ともあれ、厳格で頑固でありながら内に深い優しさを秘めたマニラと、無口で無骨でありながら思いやりに満ちたその兄マシューに愛されて、アンはこのアヴォンリーで成長していきます。
続編について。
第二作は【アンの青春】です。更に【アンの友達】【アンの愛情】【アンの夢の家】【虹の谷のアン】【アンをめぐる人々】【アンの娘リラ】【アンの幸福】【炉辺荘のアン】と続きます。そして、このシリーズとは別に【丘の家のジェーン】【果樹園のセレナーデ】【可愛いいエミリー】【エミリーはのぼる】【エミリーの求めるもの】【パットお嬢さん】等の作品があります。
僕が読んだのは、第二作目【アンの青春】までです。
正直言って、第二作目はいまいちでした。それ以降の作品を読む気はいまのところありません。(それ以降の作品を読むぐらいなら【赤毛のアン】をまた読み返します。)
【アンの青春】にもおもしろく魅力的な箇所はありました。
マニラとマシューはアンに続いて二人の双子の子供たちを引き取ります。登場人物が増えることによってエピソードが増えたというより、エピソードを増やすために登場人物を追加した、という印象を僕はもちました。
アンを年齢を重ねるという意味において、成長させる必要がなかったのではないかという気がします。
正しいことを言えば評価される、間違ったことを言っても許される、という子供ならではの特権を持つポジションに置いておいた方が良かったのではないかと思います。子供時代のアンに限定して、そこでエピソード等を増していくというのは無理があるのでしょうか。
というのも、僕としては、アンに匹敵するモンゴメリの他の作品も読みたかったとの思いがあるのです。
季節は廻るが歳は取らないちびまる子ちゃん、あるいはサザエさんシステム。
連載漫画由来?
話は進み季節も変わっていくのに歳をとりません。。一年たったら元の年齢にもどります。年中行事として、お正月、ひな祭り、こどもの日、七夕、夏休み、運動会・体育祭、文化祭、クリスマスはあります。そして、登場人物の誕生日もくるのですが、歳は取らないのです。
連載漫画からくるものでしょうか。多くの漫画は週間、月刊の連載です。あるいはかつてのサザエさんのような新聞連載すなわち日刊です。
販売の季節が夏なら夏の話題になるのが自然ですし、年始なら登場人物が着物を着たり初詣に行ったりします。
もちろん季節感のない作品、週刊連載一年で作中では一日も経っていないという場合もあります。
日本の漫画固有のものかというとそうではありません。あのスヌーピーが登場する、ピーナッツも同様です。サマーキャンプやハロウィンなどアメリカならではの年中行事が廻ってきますが、チャーリーブラウン、ルーシー、ライナス達は何年たってもこどものままですし、もちろんスヌーピーも齢は取りません。
アンも同様なシステムで、もう2,3作品は読みたかったところです。
[…] 5週目。【2019.11.24~11.30】✙ L.M.モンゴメリ作【赤毛のアン】(11.25、【注文の多い料理店】読了。→11.26、夏目漱石作【坑夫】 […]